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青森県南部町(なんぶちょう)
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トップページ  >  観光・文化の情報  >  史跡 聖寿寺館跡  >  聖寿寺館跡発掘調査
 聖寿寺館跡発掘調査
最終更新日:2006年8月22日
 ページの概要:  聖寿寺館跡発掘調査について説明します。


表土剥ぎ  遺構調査
表土剥ぎ   遺構調査


 調査に至る経緯
 南部氏は清和源氏の流れに属する甲斐源氏の一族で、源義家の弟新羅三郎義光に始まります。義光は甲斐守に任命された経歴を有しますが、甲斐国に土着したのはその子義清からで、義清とその子清光、清光の多くの子等の三代にわたり勢力を拡大し、ほぼ甲斐一国を支配するようになりました。清光の三男遠光は巨摩郡加賀美荘を所領としていたので加賀美遠光と称されました。この遠光の三男光行が南部氏の祖となり、のちに父遠光から甲州巨摩郡南部荘を譲られ、南部三郎光行と称しました。光行は源頼朝から平泉藤原氏との合戦の功績により糠部五郡を下賜され、1191年(建久2)に入部し相内館跡を応急的に築いたと伝えられています。その後平良ヶ崎城や聖寿寺館等、馬淵川を挟んで12の城館を配置し、広大な南部領を支配する策源地としました。しかし24代晴政の代、1539年(天文8)6月14日、南部氏代々の居城である聖寿寺館を家臣赤沼備中の放火により焼失、典籍・什器も灰燼に帰しました。そのため盛岡以前の記録を失い、約350年の三戸南部の歴史は伝承となってしまいました。
 三戸南部氏の本拠地とされていた南部町には、現在でも城館ならびに藩主の墓所・霊廟・神社・仏閣等文化財が極めて良好な状態で遺されており、これらの歴史遺産の保護と後世への継承、中世三戸南部氏の歴史解明を目的に、平成4年南部氏関連城館整備検討委員会が発足されました。この委員会を中心に古記録など文献面での探求はもとより、地下に眠る遺構・遺物から往時の政治力・経済力・文化力などの認定を図るため、発掘調査が実施されています。


 調査結果
 聖寿寺館跡本体は開発による破壊が殆どなく、中世の状態が良好に保存されています。検出された遺構は掘立柱建物跡が4棟、竪穴建物跡が38棟、堀跡等があります。
 掘立柱建物跡は城館の西側地区に集中し、逆に東側地区には工房や倉庫と推定される竪穴建物跡が集中する傾向が見られます。これらの遺構は、出土遺物から概ね15世紀後半から16世紀前半のものと推定されます。
 遺物のほとんどは遺構内からの出土で、日用品、武器・武具、宗教用具、茶道や香道の道具、化粧道具、文具など多種多量で、中世三戸南部氏の物心両面の豊かさがうかがわれます。これらのほとんどは15世紀から16世紀にかけてのものです。





情報の提供元
 〒039-0105 青森県三戸郡南部町大字沖田面字千刈45
南部町教育委員会社会教育課 史跡対策室
電話 0179-34-3117 / FAX 0179-34-3127

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