| 1189年(文治5)8月 |
源頼朝が奥州を平定
南部光行(なんぶみつゆき)は源頼朝から糠部(ぬかのぶ)を賜る |
| 1191年(建久2)12月28日 |
初代南部光行が初入国し、相内観音堂(あいないかんのんどう)に泊まる |
| 1192年(建久3) |
南部光行、平良ヶ崎城(へらがさきじょう)を築く |
| 1219年(承久元) |
2代南部実光(さねみつ)、糠部に下向
所領を兄弟に分かつ |
| 1254年(建長6)12月25日 |
南部実光没す(74歳)
三光庵(さんこうあん)に葬る |
| 1512年(永正9) |
鱒沢(ますざわ)の隅ノ観音堂(すみのかんのんどう)に、観光上人(かんこうしょうにん)の糠部郡三十三所順礼の六番、圓福寺(えんぷくじ)の順礼札が納札される
長谷の観音堂に、観光上人の糠部郡三十三所順礼の三十三番、長谷寺の順礼札が納札される(現在は新築した宝蔵庫に保管) |
| 1525年(大永5)4月5日 |
23代南部安信(やすのぶ)没す(33歳) |
| 1539年(天文8)6月14日 |
赤沼備中(あかぬまびっちゅう)の放火により聖寿寺館(しょうじゅじたて)焼失
累代の典籍、什器のほとんどを失う |
| 1565年(永禄8) |
この頃、南部高信(たかのぶ)の長子亀九郎信直(かめくろうのぶなお)、三戸太守の世子となる |
| 1578年(天正6) |
南部晴政(はるまさ)と養子信直の間不和、家臣分裂 |
| 1582年(天正10)1月4日 |
24代南部晴政没す(66歳)
世子晴継(はるつぐ)が後を継ぐ |
| 同年1月24日 |
25代南部晴継没す(13歳) |
| 同年1月25日 |
この頃、信直(37歳)宗家を相続す |
| 同年6月 |
北信愛(きたのぶちか)、信直の使者として京都へ向かったが、織田信長の急逝により引き返す |
| 1587年(天正15)2月20日 |
北信愛、信直の名代として金沢に赴き、豊臣秀吉のとりなしを依頼 |
| 1590年(天正18)3月 |
信直、兵1,000を率い小田原参陣のため三戸を出発 |
| 同年7月27日 |
信直、宇都宮で豊臣秀吉より「本領安堵の朱印状」を受ける |
| 1591年(天正19)3月 |
九戸政実(くのへまさざね)の党、一斉に蜂起す |
| 同年9月5日 |
九戸政実以下、籠城の諸将、城を出て降伏 |
| 1592年(文禄元)3月 |
信直、朝鮮役に際し、騎士200、兵800を率い出動。肥前名護屋にて待機
南部領内諸城の破却終わる
破却36城、残存12城 |
| 1597年(慶長2) |
不来方(こずかた)に築城着工、盛岡城と命名す |
| 1598年(慶長3)3月15日 |
在京中の信直、豊臣秀吉に従い醍醐の観桜会に参会す |
| 1599年(慶長4) |
盛岡城完成 |
| 同年10月5日 |
南部信直没し(54歳)、三光庵に葬る |