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【連載】私のふるさと「達者村」に向けて@(第1話〜) |
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ページの概要: |
達者村特派員の谷中藤雄さん・正子さんご夫婦が、首都圏在住者の視点から見た達者村の良い点や改善すべき点などについて執筆したものをご覧になれます。 |
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第4話 〜秋の名川町 達者村で〜 |
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【広報ながわ2005年12月号】
教育委員会のお招きもあり、10月28日、3カ月ぶりに達者村に戻って参りました。春には新緑と様々な美しい花に埋もれていた名川町の風景も、今は季節が変わり、木々は紅葉し、空は青く高く、黄色い阿房宮の畑や真っ赤に色付いた鈴なりのりんごは、銀色の地面と太陽に照らされて、まるでお化粧されたように美しく見え、久しぶりに見上げる名久井岳も、まぶしいほどの紅葉に映え、優しく私達を迎えてくれているように見えました。
今回で4回目の訪問となるのですが、役場や農家の方々、そして一緒に農作業をした皆さんとの久しぶりの再会で、私はただの旅行者ではなく、自分の故郷に帰って来たのだという気持ちになりました。そしてこれからも、この達者村に私は幾度となく足を運ぶことになるだろうとの予感を持ちました。
来村した翌日、早速町内をあちこちとドライブしましたが、途中たくさんの柿の木を見つけました。水上の辺りでしょうか。黄色く熟した柿の木の林立する風景は、日本の秋の里山の原風景そのものを感じ、その懐かしい美しい風景にしばし目を奪われてしまいました。そして一枝の柿を分けていただこうと訪ねたお宅の奥様は、快く承諾してくださり「それなら明日一緒にもいで干し柿でも作りましょうよ。お昼ご飯もご一緒しまよう。」とお誘いくださいました。
すっかりお言葉に甘えた私達は、翌日早速お訪ねしましたところ、奥様は数々の手料理で迎えてくださいました。自家製のシソジュースやヨーグルト、そして数々の郷土料理のおいしさは格別で、風情のあるすてきなお庭を拝見しながらいただいたことも相まって、とても幸せなひと時でした。食後は裏の柿の木林に案内され、地面につきそうなたくさんの柿を次々ともぎ、木箱一杯になりました。後日奥様と皮むきをし、干柿作りに挑戦いたしましたが、私達が横浜に帰る頃にはきっと美味しく出来上がることでしょう。
前回私達は名川町で大勢の皆様との出会いがあり、どこに行ってもいつも温かく迎えて頂きましたが、今回も又早速すてきな奥様との出会いがあり、温かく迎えていただきました。達者村はますます離れがたい故郷となりました。
(文:谷中藤雄) |
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第3話 〜横浜で会ったかっちゃ〜 |
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【広報ながわ2005年11月号】
横浜市青葉区に「寺家町(じけいちょう)」といい縁の多い所があります。ここは40年前までは水田を主に耕作し、県下でも有名な穀倉地帯でした。幸いこの地区は自然風致地区として指定され、里山、畑、水田、溜池等が整備保存されています。この一角の道路沿いに白いテントが張られた小さな売店があり、季節の野菜や菓物が売られていますが、先日私はサイクリングの途中のどを潤そうと、この売店に立ち寄りました。店番の女性が試食にと梨を1個くれたので、その場でガリガリと食べました。そして、この女性と話しているうちに東北出身ではと思い尋ねましたら、青森県とのこと。私も青森県と御縁がある者です・・・等と色々話に花が咲きました。彼女は50歳位の方ですが、近所には同郷青森出身の30代の男性がいて地元の農家の女性と結婚し、農業はやらず会社勤めの技術者とのことでした。
一寸立ち寄っただけの売店で、元気で活躍している青森県人に出会えたことに私は驚かされました。彼女の実家では、母親が一人で農業をやっているので、よく電話を入れる様子です。「今日は台風が青森方面を通ったので電話をしたら、りんごの落果は少なくて助かったと言っていました。」と安堵の様子でした。今私は神奈川県にいるのですが、話をしているうちに名川町の畑で立ち話をしているような感じになりました。「ナンモ、ナンモ」と名川町の人達に囲まれていた2カ月前の自分に戻っていました。
さて数日後、私は家内と共にこの売店を再訪しました。ちょうど御主人もおられたので達者村の話をし、是非名川町の人達にこの売店のことを紹介したいと言いましたら、快く承諾してくれ写真も一緒に撮らせていただきました。ただ御主人には「私の顔は10万円出さないとだめだ」と逃げられてしまいましたが、この女性、実に素晴らしい「青森のかっちゃ」だったのです。売店や畑仕事のかたわら、寺家町にある「寺家ふるさと村」の農作物加工室で都会の人達に味噌作りを教え講師として大活躍しているのです。ちょうど午後から事前の仕込みをするというので、忙しい時間でしたがおじゃまをし、写真を撮らせていただきました。神奈川県で大活躍している「かっちゃ」が、まだどこかにおられることでしょう。
名川町の皆さん、これからもどうぞよろしくおつきあいのほどを。
(文:谷中藤雄) |
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第2話 〜ふるさと回帰フェア〜 |
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【広報ながわ2005年10月号】
9月17日、東京大手町のJAビルで開かれたこのフェアは、北海道から九州屋久島と全国の県町村の自治体が、自分達のふる里をPRし、又ふるさとに回帰したいと思う人達を支援する事が目的です。会場の外では産地の果物や海産物がアンケートに答えた人達に無料で配られ、又販売され、花笠踊りや若者のジャズダンスのパフォーマンスもあり、訪れた大勢の人達で賑わっていました。名川町のブースはビルの8階にあり、岩手県と北海道のブースと隣り合わせでしたが、達者村の緑色のハッピ姿は混雑した中でとても目立っていました。この名川町のブースに訪れた人達を何とか寄るようにと呼びかけ努力致しました。
このフェアを訪れた人達は、住み良い県や町村は何処が良いのか真剣に考える人も多く、気候のことや医療のことが一番の課題のようでした。そして住居、交通、買物と今の生活を場所を変えても、そのまま続けられることを理想としています。ただ果物が色々穫れる里であるからいらっしゃいでは、観光案内でしかないのです。今回は観光フェアではなく、永住地探しを目的とした人が来ているのですから、名川町の意気込みのインパクトが少し弱かったように思いました。私自身が永住は無理かなと思っているので、やはり季節の良い時を選んで行かれたら如何でしようかの方向に話が進んでしまいがちで反省していますが、町としても本気でふるさと回帰の人達を呼ぶつもりなら、もう少しそれなりの用意がなければ、それなりのしっかりした計画を話す材料がなければ、来る人達と真剣な話は出来ません。ただパンフレットを渡すだけでは、青森でもさくらんぼが穫れるのですかと、驚いて帰る人を見送るだけでは悔しい思いです。
他県のブースも、くまなく見て回りましたが、住宅を前面に売り出していたり、東京への交通費として300万円あげますなどと、テレビでもよく見かけることが現実にあることを知りました。都会人はふる里を求めながら、実は不便が嫌いな甘えた人種が多いのです。いきなり家を売り払い飛び込んで挫折を感じる人が大勢いますが、それを迎える町村が、その人達をどうこうする必要も責任もありませんが、迎えた以上はその人の心が離れないようにきちんとした計画のもとで迎えて欲しいと思います。名川町の発展を思いつつ・・・・。
(文:谷中藤雄、正子) |
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第1話 〜東京は近い〜 |
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【広報ながわ2005年9月号】
八戸から新幹線に乗れば、東京は近いです。久しぶりに東京駅に降りて感じた事は、「なんて人が多いのだろう」の実感でした。
まだ戻ったばかりだというのに、荷物をほどくと早速、いただいたビデオや新聞、沢山の写真を見返して懐かしく思うのは、ホームシックならぬ名川町シックなのでしょうか。以前の生活に戻り、毎朝体操に出かける公園は、暑苦しいアブラゼミやミンミンゼミの大合唱です。名川町のヒグラシの「カナカナ」と優しい鳴き声とは、大分違います。やはりケビンの周囲は都会人の心を癒す最高の場所でした。名川町はすてきな町、かけがえのない私共の「ふるさと」になりました。
今回の任務は終わりましたが「達者村特派員」として色々活動することになりました。少しでも3カ月の御恩返しが出来ればとの思いからです。そしてこのページも、引き続き受け持たせて頂くことになりました。色々都会の様子などをお伝えしながら、名川町、達者村との関わりを大切にしたいと思います。さしあたり、9月中旬に東京JAビルで「ふるさと回帰フェア」がありますが、私共も勿論駆けつける予定で、今から楽しみにしています。では又来月号で・・・。
(文:谷中藤雄、正子) |
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